解説 友だちは多い方がいいと言うけれど、 烏合の衆の集まりに意味はありません。 この章の殆ど 最後の三章 が孔子と弟子との問答や人物評価が書かれている。 山田勝美『論語』(角川文庫)角川書店、1985年• 今回は『論語』の内容を解説しながら、ギャル語で要約を行います。
3「学」についての記述、孔子の根本思想についての立件が多いため、熟読すると良いと朱熹は言う 集注。
何か一つの注に拠るわけではないですが、伝統的な解釈を丁寧に伝える本になっています。
七十にして心の欲するところに従えども、 矩 のりをこえず」(為政) 現代語訳:(15歳の時には学問で身を立てようと志を立て、30歳の時には自分の立場というものができた。
以下、特徴を紹介します。
中国語の「大人」には「君子」に近い意味もありますので、「立派な人の方が小人よりお金をたくさん払わなければならないのか」と笑い話のタネになったりします。
むろん、だからといって、修徳の目的が政治的権勢の獲得にあるというのではない。
新版再刊• 自分がされたくないことは、他人にもしてはいけない。 」とその国人に言うのを許さない、かも分かりません。 学問といっても現代のような教科書や講義による勉強ではなく、基本は、貴族社会の礼儀作法や教養・素養を師から口伝で受け継ぐことにあった。
4なんとうれしく楽しいことだろうか」という意味です。
朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり。
己の欲せざる所は、人に施すこと勿かれ。
注意点として、 一般的な訳と比べてアレンジ色が強く、 そこが魅力と名ってもいるわけですが この本だけを読んで論語を 分かったつもりになるのは危険です。 勇気が足りないことに気付かせ、行動を起こすように促す励ましの言葉でもあります。 (泰伯) 現代語訳:(使命は重く道は遠い) これは孔子の弟子・曾子が言った言葉です。
13、2009、『論語 増補版』、• 諸 こ れに往 おう を告げて来を知る者なり。
他人に理解されなくとも気にしないと言うのはとても立派な事だ。
初版、に改訂新版。
12 - 祭儀のあり方(先祖や神々がそこにいるように)。 (雍也) 現代語訳:(理解しているということは好きだということにはかなわない。 邢昺「論語注疏」『十三經注疏(附校勘記) 下册』中華書局、1991年• 通訳 孔子は言った。
各章の区分けは 朱 ( しゅ ) 熹 ( き )『論語 集 ( しっ ) 注 ( ちゅう )』に拠った。
新版再刊、現代語訳のみ。
初版刊行。
There is no one who both don't tend to disobey their above and prefer mutiny. もともと、ギャルは感謝の意を示す際に「ありがとうございます。
一、訳文は忠実な逐語訳では理解しがたいものが多いので、原文の真意をそこなわないかぎり、思いきり自由な立場で試みた。
01-13 有子曰、信近於義、言可復也、恭近於禮、遠恥辱也、因不失其親、亦可宗也、 有子 ( ゆうし )曰く、信は義に近ければ、言うこと 復 ( ふ )むべきなり。
子曰、郷原徳之賊也、 出典:陽貨第十七13 書き下し文 子曰く、郷原 きょうげん は徳の賊 ぞく なり 通訳 孔子は言った。 現代語訳は原則的に『論語集解』(古注)に基づくが、他の注解に拠ったり、作者の解釈によるものもある。
今有名人がこんなことを言ったら、おおやけの場で謝罪を求められるかもしれませんね。
荒川健作『論語大成 全訳 最高の徳「中庸」とは何か?』三恵社、2007年6月。
という歌がありますが、これには何か深い意味がありましょうか。
『全譯 論語集解』主編、 上下、2020年 脚注 [ ]. 季氏(きし)第十六• 前10篇を「上論」、後10篇を「下論」と呼んで区別したりもする。 書き下し文 子曰わく、君子は食飽 あ かんことを求むること無く、居安 やす からんことを求むること無し。
8たとえば「述而篇」に「天、徳をわれに生ぜり」(私には天から授かった使命がある)という言葉が出てきます。
『論語 上・下』〈 中国古典選 1001・1002〉、1996年10月。
」 子夏 ( しか )が先師にたずねた。
これは、六朝時代の学者、(おうかん)の著作『』によると、漢代の(じょうげん)という学者が論語を以て世務を経綸することが出来る書物だと言った所から、「倫語」という語が出現し、又その説く所は円転極まりないこと車輪の如しというので、「輪語」というと注釈し、「円珠経」については鏡を引用して、鏡はいくら大きくても一面しか照らし出さないが、珠(玉)は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らすものであり、諸家の学説は鏡の如きもので一面しか照らさないが、論語は正に円通極まりないものである、という所から「円珠経」と言うと説かれている。
一方でどんなに強い決心があったとしても、私たちは不意に「このままで本当にいいのだろうか?」と不安になる瞬間もあるのではないでしょうか。
」というギャル語を使っていました。
かような影響力も、しかし、明治維新後の西欧文化の伝来と共に、急激に退潮しはじめた。